児童相談所のおと

児童相談所で勤務しています。児童相談所から聴こえる音。児童相談所で綴られるノート。そういったものを書いていきたいと思います。

どうぞ、児童相談所にいらしてくださいね!

子どもを育てるって、すごく大変ですよね。
見たことも、聞いたこともないようなことばかり、毎日起きます。
それでもなんとか、インターネットを調べながら、友達や親にも聞きながら、自分なりの解決方法を探してやりくりしていると思います。
 
でも、時には、子どもを叩きたくもなっちゃいます。全然、言うことを聞いてくれないし。
当たり前の生活習慣を身に付けてくれればそれでいいのに、ご飯は食べない、歯は磨かない、服は着替えない、学校は行かない。
困った末に、どうしても言うことを聞いて欲しくて、つい手が出ちゃいます。
 
児童相談所は、そのように日々苦しみ、子育てと格闘してくださるみなさまの、お力になりたいと思っています。
子どもは、親だけでは育てられません。当然です。親だけでは育てられないのです。
一緒に子育てに悩み、相談できる人はいろいろいると思うけど、その中の1つに、児童相談所も入れてください。
児童相談所には、子育ての悩みに応えるプロがいます。
子どもや親御さんに寄り添って、学校や保育園などと連携して子どもを見守る福祉司がいます。
子どもがどのような特徴を持っているのか、普段の生活では見ることのできない部分まで見極められる心理司がいます。医者もいます。
どうしても家庭からいったん離れたほうがいい場合は、一時的にお子さんを保護する保護所もあります。
 
子どもを育てるという、とても大変で、意義のあることを、私たちも一緒にやっていきたいと思います。
子どもたちの健やかな育ちを、責任を持って支えるのが、私たち児童相談所です。

何も教えてもらってないのに、子どもを育てるという大変なことを引き受けている、すべての親に配慮と敬意を。

児童相談所では、虐待案件の対応をします。

 

虐待というのは、柔らかく言うと、「不適切な養育」ということです。

 

 

でも、子育ての仕方が不適切だからと言ってすぐ責めるのは、酷なことですよね。ホントに。

 

 

だって、子どもの育て方なんて、親からも学校でも習わないじゃないですか。

近隣で、手取り足取り教えてくれるわけじゃないじゃないですか。

今困っているのに、今助けてもらえるわけじゃないじゃないですか。

 

 

なのに、子どもを産んだだけで、いきなり親として、完成度の高い子育てを求められるんです。

 

「子どもを育てるのって、大変ですよね。うまくいかなくて、当然ですよね。」

 

児童相談所としては、常にそういう姿勢で、親に敬意をもって、接してもらいたいです。

 

児童相談所は、ペナルティを受けに行く機関ではない

最近、

「そういうことしてると、児相に連れてくよ!」

という言葉が、脅し文句として使われている場面に出会います。

 

悲しいことですね。

 

 

 

児童相談所は、子どもに関するあらゆる相談を受けてきました。

頼れる機関として、児相はありたいのです。

 

子どもにとっても、大人にとっても。

 

それが、なぜ脅し文句になってしまうのでしょうか。

 

 

 

 

児相に行くことが脅しになる背景としては、平成16年の児童福祉法改正が影響しています。

児童相談所は県の機関なのですが、H16年改正では、市町村も児童家庭相談に応じることを明確化しました。

 

そこで発生した役割分担が、

  • 在宅で、訪問などの支援でも大丈夫なご家庭については、市町村が主体となって関わります。
  • 在宅生活がかなり厳しく、一時保護や施設入所までも必要になってくるご家庭については、児童相談所が主体となって関わります。

というものです。

 

 

在宅生活がかなり厳しいということは、虐待や非行の問題が深く絡んでいることが多いです。

そのような状況では、親子関係がかなり不調で、苦しい状況です。

 

親などの養護者が、どうにも困って、「言うことを聞かないと、家にいさせないぞ」という言葉を、子どもにかけることがあります。

家にいさせないということは、児相が一時保護や施設入所の措置を取るということです。

 

地域に馴染み、学校もあり、友達もいる子どもにとっては、その地域から離れてしまうということは、大ダメージですよね。

 

 

 

 

言うことを聞かないと、家にいさせない。

 

そういうしつけが、「児相に連れてくぞ!」という脅し文句につながるのですね。

これは、家庭だけでなく、場合によっては施設でもたまに聞いたりします。

 

 

でも、児相は、「悪いことをしたり、親(職員)の言うことを聞かなかったら、ペナルティを受けに行く場所」ではないのです。

一緒に悩みや喜びを分かち合い、頼られ、ともに歩んでいく機関なのです。

 

 

虐待だと指摘されることは、必死な自分の努力を否定されること

明らかに虐待である行為を、虐待であると指摘しても、なかなか認めない親もいます。

 

一般的には、「ここまでしといて、ひどい親だ」と見なされるでしょう。

 

しかし、僕が接している中では、親御さんがどこか怯えている。どこか戸惑っている。どこか悲しみを抱いている。

そのように感じもするのです。

 

 

おそらく以下のような心境をお持ちなのではないでしょうか。

 

「必死に努力している自分の子育てが否定される。」

「さらなる努力を要求される。」

「ペナルティが課せられる。」

 

 

「本当は、助けてほしい。」

 

 

一般市民の方が、虐待する親のことを、非難の目で見てしまうのは仕方のないことだと思います。

しかし、児相のワーカーは、当然そこでとどまってはなりません。

 

虐待をしてしまう親の背景にあるものは何か。

そこにアプローチしなければ、真に「虐待対応の仕事」とは言えないのです。

 

 

親御さんは、困っているのです。

 

児相で働くと、友達が減る

以前は別の部署で働いていた後輩が、児相に来てからは残業時間がものすごいことになってます。

 

かつては、よく職場の人と花火大会とかバーベキュ大会とかに行っていたらしいですが、今となっては声もかからなくなってしまったそうです。

いつも行けないから。

 

 

 

「児相で働くと、友達が減る」

 

 

 

そういう環境では、まずいですよね。

 

 

児相でも、長く勤めている人は、貴重な人材です。

長く勤めてもいいなと思える人を、少しでも増やしたいです。

傷つけられようが何されようが、見てくれる人はその人だけだから

どうして、傷付けられるとわかってて、その人に寄っていくのだろう。

 

体も心も傷付き、親や先生とはケンカになり、児相からは注意され、施設には戻れなくなり、それでもどうしてその人に寄っていくのだろう。

不思議に思うことがあります。

 

 

ただそれは、

 

「傷つけられようが、何されようが、いつも関わってくれる人はその人だけだから・・・」

 

そういう切実な、人間として根源的なものを、満たしてくれる人がその人なんです。

 

支援者としては、それに対して、悔しく思わなければなりません。

 

親からの<養育>と<虐待>。子からの<愛着>と<逃避>。

虐待の起こる家庭では、

 

親が苦しみながら、子どもへの<養育>と<虐待>を、繰り返しています。

 

子どももまた苦しみながら、親からの<逃避>と<愛着>を、繰り返しています。

 

非常に苦しいですね。

 

 

 

そこで生じる激しい葛藤は、児童虐待という事態に対峙する、児童相談所に引き継がれてきます。ケースワーカーの出番です。

 

 

 

いったい、

<養育>と<虐待>。

<逃避>と<愛着>。

この矛盾と葛藤を、どのように落ち着かせていけるのか。

 

 

 ソーシャルワークで解決していきます。