児童相談所のおと

児童相談所で勤務しています。児童相談所から聴こえる音。児童相談所で綴られるノート。そういったものを書いていきたいと思います。

児童養護施設からの大学進学ができるかどうかは、自治体によって違うでしょう

自治体によって違うと思いますが、僕の勤める自治体では、「児童養護施設からの大学進学」は、認められていません。

 

児童養護施設にいられるのは、原則として18歳までですが、本人の福祉を著しく損なう場合は、20歳までいられることになっています。

これは、児童福祉法に定められていることです。この、<本人の福祉を著しく損なう場合>についての解釈が、自治体によって異なるのです。

そこに、「大学進学」が含まれるかどうかが鍵です。

 

 

多くの場合、高校3年生の途中で18歳を迎えます。

でも、18歳だからという理由で施設を出されては、高校を卒業できません。だから、18歳を迎える前に、18歳を超えても入所期間を延長(これを、措置延長といいます)してよいか、児童相談所内で会議にかけ、認められると、高校を卒業するまでは、入所が認められるパターンがほとんどです。

それに加え、就職が決まっていて、引っ越すまでの数カ月とか、あるいは、精神疾患や障害などで、次の住まいが見つかるまでとか、そういう場合には、20歳までの期間において、措置延長が認められるケースがあります。

 

ただし、「大学に通学するため」という理由で、20歳まで入所を継続できるかどうか。ここはどうなんでしょうね。自治体によって、判断が分かれるのではないでしょうか。

理由としては、「どうしても大学に進学しないと、生きていけないような社会情勢ではないから」というのを聞いたことがあります。

また、事情として、「児童養護施設への入所を待っている子がたくさんいるのに、『大学に通いたい』という理由で枠を埋めてしまうのはできないだろう。」ということもあるようです。

 

どのみち、児童養護施設にいられるのは20歳までなので、4年制大学だとしたら、大学2年生の途中で施設を退所することになります。それもリスキーですよね。

だから、大学へ通うためには、高校卒業と同時に、施設を退所しなければなりません。

もともと児童養護施設に入ったという事は、親や親族には頼れない事情があるので、生活費や学費も自分で稼がなければなりません。途中で、挫折してしまうのもうなずけます。

これが、児童養護施設出身者は、大学に進みにくく、退学しやすいと言われる所以です。

 

たまたま親や親族に頼ることができなかっただけで、厳しい人生を歩まざるを得ないというのは、不公平な社会ですし、人の能力を発揮しきれないという点で社会的な損失です。そのために、児童福祉施設出身者を支えるための様々な取り組みも生まれてきています。

親や親族が頼れない環境に生まれても、4年制大学までの進学を保証するには、最も短くて23歳までの生活保障、学費保障が必要です。

やる気と能力のある子には、大学まで進学してもらい、才能を発揮して社会貢献してもらい、お金も稼いで納税してもらう。

私たちの社会に、そういう選択肢はないんでしょうかね。

緊張の高まる「一時保護」という対応

児童相談所の仕事の中で、非常に緊張の高まる仕事の一つに、「一時保護対応」があります。

親に虐待されている子、親が育てられない子、警察に保護されたけど家に帰れない子。そういう子の身の安全を確保するため、そして生活できる環境を整えるために、一時保護所へ一時保護します。

 

そのような一時保護は、突発的です。

他の様々な予定をすっとばして…いくわけにもいかないので、「すみません、緊急の用件が入りまして」と方々に調整をして、一時保護にあたります。

 

すんなりと保護に至るケースは稀です。

親の拒否、本人の拒否、一時保護所に空きがない、どこの保護所ならいいのか。

感染症や妊娠がないか健診をしてこい。

食物アレルギーはどうだ。

法的根拠は大丈夫か。

保護することでかえって状況を悪化させないか。

本当に虐待なのか。

 

瞬時に、様々な情報収集と判断と連絡調整をしていかなければなりません。

 

このような事態は容易な事態ではなく、保護をするにしても、しないにしても、子どもの生活、人生を大きく左右する可能性があります。重要な決定です。

児童福祉司、児童精神科医、児童相談所長、保健師、その場にいるいろんな職種がさっと集まり、限られた時間で検討し、決めていきます。

 

仮に一時保護所に来たとしても、親が怒鳴り込んできたり、子ども本人が嫌がって暴れたり、まだまだ安心できません。

保護が終わるまで、ずっと緊張しっぱなしです。

 

児相は、説得してから連れていく。警察は、連れて行ってから説得する。

非行少年への対応について、警察から面白い話を聞きました。

 

家にいられない、学校にも行かない、ちょっと悪さをするような非行少年への対応について、児童相談所は、まず説得を試みます。

「親と暮らせるようにして家に帰って、ちゃんと学校に通おうよ。家にいられないんだったら、いろいろ心配だから、児童相談所の一時保護所にきなよ。」というように。

それは、本人が納得した上でないと、家に戻ってもうまくいかないし、一時保護所でも荒れてしまうし、「本人の納得」というところをスタート基点にするからです。

 

でも警察は違うみたいです。

警察は、まず警察署に連れてくる。あるいは、警察車両の中に入ってもらう。そこで説得をする。ということです。

本人が納得する前に連れていくという事は、当然、本人の抵抗が予想されます。

でも警察組織は、対暴力について訓練され、人員体制が敷かれ、法整備もなされているので、多少の抵抗があっても連れていくことが可能です。

そのような「抵抗しても無駄」というイメージも定着しているので、抵抗自体が減る可能性もあります。

 

別に、どちらがいいとか悪いとかは、思っていません。

実務の中では、そのような役割分担も、まあありかな、という感覚です。

 

虐待や非行の現場では、福祉的な関わり、つまり相手の気持ちに寄り添って、信頼関係を築き、エンパワメントしながら、自己実現を図っていくような、そういう手法やスタンスが通じない場面も多々あります。

一刻の猶予も許されないとか、意思疎通が難しいとか、もう強引に場面を展開させないと、どんどん危機が深まっていってしまうのです。

 

 

「児相は、説得してから連れていく。警察は、連れて行ってから説得する。」

そういう役回りのようです。

家にはいられないけど、児童相談所の一時保護所にも入りたくない子どもたち

親が虐待を繰り返し、とてもじゃないけど家へ返せない子供がいます。

 

家にいられないと、学校から帰れなかったり、警察で保護されたりします。

そして、児童相談所に相談が持ち込まれるのです。

 

 

その時、児相としては、親との関係調整を図ってみますが、うまくいくとは限りません。

家に帰れない子に対しては、「一時保護所」に入所してもらうという選択肢が、児相の権限でできる唯一の方法です。

 

 

でも、一時保護所は、とても生活に適した場所とは言えません。

狭いし、制限が多いし、落ち着いてる子は珍しいくらいです。

 

だから、「家には居たくない。でも、一時保護所にも入りたくない。」という子がいて当然なのです。

気持ちは分かります。

 

 

じゃあ、児相として、何ができるのか。

 

・・・。

 

親族、学校、警察、あらゆる関係機関に、何かできないかかけあってみます。

それでも夜間だと、厳しいですね。

 

もう、子供が行きたい場所に、行ってもらうしかないこともありますね。

 

「どういう状態であっても、児相が保護してくれる」とたまに期待されるのですが、

一時保護所に入所したくない子を、無理やり手を引き、足を持ち上げ、引きずり、拘束して、入所させることはできません。

そういう方法を取れないばかりか、仮にそういう方法で入所させられた子は一時保護所で当然暴れ、他の子にとっての脅威ともなります。

関係性が崩壊し、児相が信じられなくなり、もう話すことさえ拒否することでしょう。

 

 

だから、「家には居られないけど、一時保護所に入るのも嫌な子」には、どうしたらいいのか非常に頭を悩ますのです。

虚言癖という、慎重に使うべき言葉

児相に関わるこの中には、子どもが「嘘をつく」ということを問題視するケースがあります。

子どもが嘘をつくので、親が困る、学校が困る、職員が困る。

では、「嘘をよくつく」という行動を、どのように周りが表現するか。

 

例えば、<虚言癖>と言ってしまうことがあるでしょう。

 

意図的に、「そういう子だ」という意味合いを込めて言うこともあれば、短い引継ぎ文書や連絡時間の中で、端的に子どもの特徴を表す方法として<虚言癖>という言葉を使うことがあるかもしれません。

理由はどうあれ、<虚言癖>という言葉を使った瞬間、子ども本人だけの問題になってしまいます。子どもの「癖」が悪いのだ、と。

でも、「なぜこの子は嘘をつくのだろう。本当のことを言わないのだろう。なぜ隠すのだろう。」と いう問いを掘り下げていけば、けして本人だけの問題ではなくなります。

「本当のことを言うと、叩かれるから。蹴られるから。厳しく叱られるから。恥をかかされるから。食事を抜かれるから・・・」

きっと、いろいろな事情が絡み合って、本人の防衛手段として、「本当のことは言わない」という行動に表れていることも多いでしょう。

 

そういった意味では、「虚言癖」という言葉を使うのは、かなり慎重にしなければなりません。

「虚言癖」という言葉を使いたい自分にこそ、実は、「子どもに嘘をつかせてしまう原因」があるのではないか。と、自分を問うてみる必要があります。

 

自分にも原因があると見なすのは苦しいですが、事実を見つめるためには、やらなければいけないのです。

一時保護所が空になって、子どもがいない時がある!?

とある東北の県では、一時保護所が空になることがあるという話を聞きました。

一時保護所から、子どもがいなくなるのです。

 

衝撃でしたね。

 

僕の勤めている児童相談所では、「今日も、定員が溢れてる」という話が、日常的だからです。

 

 

ところによっては、一時保護所から、子どもがいなくなることがある。

そういうこともあるそうです。

 

ということは、必要なときに、一時保護所を使える(定員いっぱいで、使えないことがない)ということでしょうから、うらやましいことです。

でも、子どもにとっては、寂しいかもしれないですね。ぽつんと1人で過ごすこともあるわけですから。

 

 

 

一方、東京都の状況もお聞きすることができました。

 

東京都は、児相が11カ所に、一時保護所が5カ所。

少なすぎます。

 

 

で、やっぱり定員は溢れてるんじゃないかと思ったら、

 

入所率は、130%。

・・・・・・

 

なぜ増やさないのか。

  

  • 一時保護所を建てる予算を割けない。
  • 住民の反対運動がある。
  • 出口(児童養護施設など)がない。

 

 

という理由で、増やさせないそうです。

なんだかな〜。

 

 

一時保護をするというのは、けっこう緊迫した場面であることが多いです。

できれば、最大限子どもや家族に合ったタイミングや場所で、保護したいです。

適切な定員の一時保護所があるといいですね。

虐待の突きつけも大事だけど、「じゃあ、代わりにどうしたらいいか。」はセットで提示。

多くの親は、子育てに一所懸命です。責任感もあります。

だからこそ、うまくいかなくなった時は、子供のために、責任を持ってしつけようとして、手を上げてしまうのです。

 

多くの親は、自分の子供を持つまでに、赤ちゃんや幼児さんと生活をともにしたことがありません。抱っこしたこともありません。あるいは、触れ合ったこともありません。

でも、赤ちゃんが生まれた瞬間から、<親>とみなされ、責任を負わされます。

 

けっこう、孤独なものです。

 

それでも、責任を果たそうと、社会の期待に応えようと、しつけを一所懸命して、手を上げてしまいます。

 

 

勢い余って子どもを傷つけてしまうその行為は、虐待と呼ばれます。

 

せっかく自分たちなりに悩み、考え、試行錯誤して、助けもされずにやってきたのに、突然現れた児童相談所の職員からは、「あなたの行為は、虐待です」と言われてしまっては、憤慨しますよね。

 

 

児童相談所の職員も、虐待を言わざるを得ない状態は、大変つらいものです。

虐待を受けている子どもをみるのも、つらいです。

虐待をしている親に、虐待だと言い渡すのも、つらいです。

 

でも、誰かが言わないと、その行為は止まないし、次へ進めないのです。

 

 

 

ただし、ただ単に「虐待です」と言われるだけでは、親にとっては単に責められただけで、何も変わりません。むしろ事態は悪化するかもしれません。

何度も言いますが、親は自分たちなりに悩み、考え、試行錯誤して、助けもされずにやってきたのです。

 

だから、親御さんの気持ちや状況を汲み取って、「じゃあ、代わりにこういうことをしてみましょう。」という提案を、セットで言わなければなりません

 

児童相談所は、親を責めるためにあるのではありません。

親を救うため、助けるため。

その結果として、子どもの健やかな育ちを保障するため。そのためにあるのですから。