2015-06-30 「体罰」という言葉には、悪(相手)と善(自分)という明確な構図が含まれる 児童虐待の現場によく登場するのは、 「体罰」 という言葉です。 「体への罰」。 「罰」ということは、すでに「この子は悪いことをしたのだ」という前提が含まれています。 さらに、罰する側には、すでに「正しい私が制裁する」という前提が含まれています。 「体罰」という言葉を使った瞬間、<悪ー善>という構造が成立してしまうのです。 虐待する親や支援者には、この明確で、「自分は正しい」という構造が心地よく、「体罰」へと惹きつけられるのでしょう。